染織作家 中野みどりの”侘び”論

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染織家の中野みどりさんは、紬のきものを織り続けて40余年になります。

紬のきものといえば大島紬や結城紬など高級呉服のイメージがありますし、
中野さんのきものも年間数反のペースで織られてますので、1反当りの価格は大変高価なものになります。

が、もともと紬というのは、平滑な絹織物用の糸の原料としては不適切と判断された、クズ繭から紡がれた糸を使って織られた布で、日常着に使われるものでした。

この意味では、紬のきものは本来“侘び”の暮らしや美意識を体現するものでありました。


中野さんの布は、質感と色合いの違う糸を十数種、場合によっては、30~40種の糸を使って織っていきます。

多色ではありますが、単純な色相ではなく、微妙に違う色を混ぜながら使います。

カラフルという使い方ではありません。また使う糸も節のある糸を多用しています。

織りにくいけれど、節のある糸こそが紬の原点であり、こころ惹かれるというのです。

そのために一見シンプルな見かけをしているものでもとても複雑な風合いが出て、物理的には平面状に見える布でも、奥行き感豊かな織物に仕上がっていきます。


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                            紬織着物「遠い日」


自分の創作の根本に据えているのは“侘びの精神”であると、中野さんは言います。                

彼女の言う“侘びの精神”とはどういうものでしょうか。

一見したところでは、中野さんのきもの作品は優艶でハイブローなイメージがあるので、“侘び”というのとはちょっと違っているように受け取られがちです。

彼女は日本の古典絵画や水墨画、また現代美術も抽象作品を特に好んでいますが、その評価の基準は,間合いのよさや余白の美しさというところにポイントがおかれているようです。

そういうことを頭に置いて彼女のきもの作品を見ると、間合いや余白ということに意識を配っていることが伝わってきます。


柄と地の空間的な関係もそうですが、草木で染めた色の美しさを生かすために、他の糸との関係や地との関係を、間合いや余白の美の感覚を発動させていることが感じられます。

図柄の表し方だけではなく、作り手である“自分”と作品(きもの)との関係の設定の仕方にも、そういう感覚のはたらきがあるようです。

創作といえば、作り手の個性や感性や精神性が問われてきますが、「最後までやり尽くさない」とか「自分を出しきらない」といった言い方をよくしています。

“自分”と作品との関係の取り方に、間合いとか余白の美とかの感覚をはたらかせているということだと思われます。

そういった制作態度を支えているのが、中野さんにおける“侘びの精神”というものなんだろうと思います。


“侘び”についての中野さんの考えを表明した文章を引用しておきましょう。

「バックボーンには私の創作姿勢の“侘び”の考え方があり、自然の美しさ、自然のありのままを受け入れながら、前向き自由に生きていく私たち市井の人々の姿を反映させたものかもしれません。
疫病の渦中ではありますが、自然の美しさや足るを知るということを改めて大切にしていきたいと思います。」

  (ブログ「中野みどりの紬きもの塾」2021年6月12日の記事より)




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[巻頭の画像作品] 
中野みどり作 紬織ショール 
[WABismのサイト] Art & Craft Item

櫻工房(中野みどり主宰)のHP

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