[閑話休題]「自治」について

自治について考えようとする場合にも、今の時代は世の中の動向を地球的規模のスケールで視野に収めていくことが必要ですが、 地球全体に目配せしていこうとするとあれやこれやとあり、場合によっては価値観が相反したりすることもあって、 自分の頭の中でそれらをどう取りまとめ、一つの筋道を立てていくかを考えることは本当に大変なことであります。 一つの考えを表明するとこれに反駁したり、いちゃもんをつけたりするような意見が必ず出てくるわけですが、 そのわずらわしさに耐えられなくなるのか、有識者と言われる人の中にも適当なことを言ってお茶を濁そうとする人が後を絶えることなく出てくるようになってきました。 しかしそれは有識者としての自恃や節度を放棄していくということであり、 最近にも某著名な脳科学者が「何度でも手のひらを反す」なんてことを臆面もなく公言しておりました。 この人の言い分は、世の中は多様性に富んでいるのだから、物事を観察するにも常に視点を移動し、一つの立場にこだわらずに柔軟に対処していくべきである、というようなことなのですが、 「手のひらを反す」とは、固定観念にとどまらず既成概念にこだわることなく柔軟に物事を観察し考察していくという意味ではないだろうと、単純に思うわけです。 このように言葉あるいは慣用的な言い回しの意味を混乱に導くような有識者の在り方は知的世界の退廃現象を顕していて、それが今日の社会の様相を混乱させていくひとつの原因ともなっています。 それはと…

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丸山真男の平田篤胤理解を批判する

丸山真男は著書『日本の思想』の中で平田篤胤の思想について、次のように書いています。 「…神道の世界像の再構成をこころみた篤胤においては、「道」が規範化された代償としてふたたび儒仏はもとよりキリスト教までも「抱擁」した汎日本主義として現れた。」 丸山が有していた思想としての国学に対するイメージは、「(儒仏キリスト教に向けての)イデオロギー批判が原理的なもの自体の拒否によって、感覚的な次元から抽象されないという点が重視されないといけない。」 (この文の中の「感覚的な次元から抽象されない」の読み方は、「批判が感覚的な次元を超えられない」ということだろうと思います。 上記の篤胤に関する引用文の前には、本居宣長について「直接的感覚にピッタリ寄り添い、如何なる抽象化をも拒否した」と評しています。) 『日本の思想』で丸山が書いてるのは、 「自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸にあたる思想的伝統はわが国には形成されなかった」 ということですが、 その一例として本居宣長から平田篤胤へと継承された国学を取り上げて、上記のようにその思想的・学問的限界を評しているわけです。 この丸山の批評に対して、今ここでは私は 「宣長に関しては当たってるといえるかもしれないが、篤胤に関しては読み違えている」 と言っておきたいと思います。 国学史上の篤胤の功績を「神道の世界像の再構成をこころみた」とするところで、丸山の篤胤理解は皮相的なところにとどまっている言わざるをえ…

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平田篤胤—―超国家主義者のイメージを払拭した新しい国学者像へ

幕末・明治初期の地方における豪農・豪商の自治的な活動をメンタルな部分で支えていた国学という学問、その中心的な学派であった平田学派の領袖平田篤胤の思想とはどのようなものであったか、今回はそのお話をします。 平田篤胤という国学者は、現在でも、リベラル系の人のほとんどは戦前の大日本帝国の国粋主義、超国家主義の中心的なイデオローグであるというイメージを持たれていると思います。 (かく言う私も、つい最近までそう思い込んでいました。) そのイメージは、『風土』や『古寺巡礼』などの著作で知られる和辻哲郎が戦後に出版した『日本倫理思想史』の中で、「狂信的国粋主義」の「変質者」と表現したのが定着していったようです。 確かに篤胤は天皇制イデオロギーの原典とみなされる日本神話の『古事記』を解説したり、 その神話を論拠にして日本が世界の中心であると書いたり、 「日本の万事万物は万国にすぐれている」とか「日本の天皇が万国の大君」などと書いたりしているのは事実です。 しかしよく読むと、国家による人民統治とか、天皇制イデオロギーに基く政治手法とかといったことには、あまり関心を示していません。 それよりも、彼の思想の根本問題である「人が死んだあと魂はどこへ行くのか」といったことを完全に説き明かしていこうとする、 いわば人間の実存の問題にこそ学的関心が注がれています。 篤胤の著作には『鬼神新論』を代表とする妖怪・変化を論じたものが一つのカテゴリーをなしていますが、 それも人…

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