〝侘び〟の造形の核心——安倍安人さんが説く“織部様式”について

侘び茶の精神空間を表現する一翼であるところの茶道具の花形は、いうまでもなく抹茶碗です。 抹茶碗の世界では一楽二萩三唐津という言葉がありますが、筆頭に楽茶碗が上げられます。 茶道具としての楽茶碗は侘び茶の大成者千利休の創案になると言われていますが、 利休の弟子の古田織部が創案したといわれる織部沓型茶碗も侘び茶を彩る花形茶碗と目されています。 そして、楽茶碗と織部沓型茶碗とは、その形の特徴において対照的であると観る人が多いようです。 ところが安倍安人さんによれば、楽と織部沓型とは、その造形的な成り立ちは同根であるというのです。 そしてこその造形作法を“織部様式”と呼んでいます。 “織部様式”とは、三角の形を基本形としてそれを積み重ねていく成形方法ということですが、 もう少し詳細を言うなら、たとえば以下のように説明されます。 「三角形の頂点の部分は膨らむような、辺の部分はへこむような曲面の雰囲気になるので、これを陰(凹)陽(凸)の形として見ると、「3点(陰と陽の繰り返し)の展開」による造形と見なすこともできます。全体の形を陰陽の展開として見ていくと、そこに無限感までもが生まれてくるように感じられます。」 織部沓型茶碗はこの方法を開放的に前面に展開していった形、楽茶碗はこの原理に拠りながら、 仕上げではそれを内に秘めるような形に整えていくことで、静的な姿に治めていくわけです。 説明としてはこのようになされますが、実作となるとなかな…

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陶芸家 安倍安人のWABism

備前焼の陶芸家に安倍安人という人がいます。 業界では異端視されていますが、私は、備前焼もさりながらそれも含めた“焼き物”の本質はこれだというところを、クリアに見せてくれる制作をしています。 その安倍さんに「“侘び”について、どのように考えますか?」という質問をしてみました。 返ってきた答えは、 「非日常的価値観で人肌を優しく刺激する現象や状態。」 というものでした。 読者の方の中には、これまであまり聞いたことのない〝侘び〟の定義であるように思われるかもしれません。 が、よく読めば〝侘び〟の核心を掴み取った端的な説明であると私は思います。 たとえば利休の侘び茶と照らし合わせますと、「非日常的価値観」という表現は、茶事の時空間を成立させるものを言い表していますし、 茶室というのも非日常的な価値観に支えられた空間です。 「人肌を優しく刺激する」は、茶事を媒介する茶道具との触覚的な接触から始まって、 視覚・味覚・聴覚・臭覚の五感全体の刺激に身をゆだねていく体験として解釈できるでしょう。 「現象や状態」は茶事を成り立たせているすべての要素を言うのでしょう。 安倍さんは青少年期には油絵を描いていて、それから古美術にも関心を示して、東京のギャラリーや古美術店を見たり買ったりする日々を送っていたようです。 それで、陶芸、絵画、古美術コレクションのどの分野にも通じていて、 80歳を過ぎた現在では、マルチタレントな造形作家と見なすほうが実像に近いかと思…

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「もの」ではなく「文化」を売る

世の人の多くは、何かが不足して手に入れる必要が生じたばあい、 たいていのものはお金を出せば手に入れられると思っているために、 自分で作るということにはなかなか思い至らなくなったようです。 たとえばコロナ騒動の初期、マスクが市場に不足して購入できなくなったことで大騒ぎするようなことが発生しましたが、 マスクなど日常の必需品として求められるようになってきた場合は、身近の布を使って自分で作れば何ということもなかったのです。 何でもお金で手に入れようとする、あまり芳しいとはいえない癖を現代の人は身に付けてしまったようです。 そこでWABismの精神としては、ものはなるべく買わない、買う場合はクォリティの高いものを選んで買うということをお奨めしているわけですが、 逆に、作る立場で言えば、手仕事ベースの経済システムでは生産・販売量はたかが知れているので、 価格は高めになりますが、そのぶんクォリティを追求していく努力を欠かさないということが必須になってきます。 クォリティを追求していくということは、付加価値を高めていくということであり、それは文化を創っていく行為に他なりません。 つまり、手仕事ベースの経済システム下でのものづくりとは、貨幣の流通を促す消費材としてのモノ(商品)をつくることではなく、 ものに託して文化を創っていくことであり、そして創ったものを貨幣に換えていく行為とは、 「ものを売るのではなく、文化を売る」行為であるという認識を持つべきであるか…

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