20世紀の現代美術とWABism

現代美術もしくは20世紀の前衛美術とカテゴリー化されている分野の造形表現について、 その一番根底をなしている精神というのは、当ブログが提唱するところのWABismであると、私は考えています。 その背景をなしているのは、19世紀に急速に発展していった工業的な生産様式と、 それがもたらした近代都市計画およびそこで形成されていった近代的な生活の在り様です。 近代的都市生活の物質的環境は、そのほとんどが工業的に生産される大量消費財であり、 それらは消費期限が切れると“産業廃棄物”と見なされて処分されていきます。 そのような生活環境から、美術的な造形素材として工業製品や産業廃棄物に、眼がむけられていくことになります。 そもそも、美術表現を象徴する“絵画”が、19世紀には工業的に生産され色名にJIS記号が付けられた、 チューブ入り油絵の具で描かれるようになります。 画家が自分の使う絵の具を自分で作ったり調合したりしていた18世紀あたりまでの絵の作り方と違ってきているわけです。 いわば、絵の具の色は万国共通になるということであり、表現の素材としては個別性ということが失われていきます。 マーケットにおける作品評価も、素材の効果や、それをテクニカルにこなしていく作者の技能度から、 作者自身の個性や、精神性、思想性といったところに評価の重心が置かれていくようになります。 そのように、表現素材が工業的に生産されたものに依存したり、その使用済み廃棄物に…

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利休が選んだ黒楽茶碗の‟黒”の意味

利休侘茶の美的境地を象徴すると言われる黒楽茶碗ですが、制作したのは楽家初代の長次郎という職人であり、 数ある黒楽茶碗の中から名作として利休が3点選んだと言い伝えられています。 実物は個人が所有されているので滅多に公開されることがなく、私なども画像を通してしかその姿を想像するほかありません。 かろうじて同趣のもので、三井記念館が所蔵している「俊寛」と銘された国宝の茶碗を実見したことがあるばかりです。 上記の3点の画像と「俊寛」とを合わせて、特に黒の釉調に着目すると、前面を黒一色で包み込むような作行きの点で共通しているかと思います。 この黒の意味をどう解釈するか、というところで、私の思うところをここに記しておくことにします。 その前に、そもそも楽茶碗の創始が長次郎によってなされたと言われていますが、 それまでの茶碗の形は基本的に中国由来の天目形と言われているものか、朝鮮半島由来の井戸茶碗のような朝顔形かのいずれかであったのが、 楽茶碗においては、高台脇から口縁までがほぼ同じサイズのいわゆる筒形をしたものが作られるようになりました。 私たち現代人の目には見慣れたもので格別の感慨はなさそうですが、 よく考えてもらえば、茶碗の形を筒形にしたことは、当時としては画期的なことであり、 創作性の極めて高いものであったと考えるべきであろうかと思います。 (私は、個人的には、茶碗における筒形の導入をもって、日本的オブジェ創作の始まりと意義付けています。) …

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侘茶の前史では、茶人たちは粗末な黒釉陶器に美的価値を見いだした。

利休が好んだ茶道具を色彩の観点から見ますと黒や濃いグレーのものが多く、 その象徴的な茶道具といえば、やはり陶器製の黒い釉薬のかかった茶碗や茶入ということになります。 利休で言えば黒楽の茶碗、外には瀬戸黒の茶碗や茶入などがあります。 それを以って無装飾な簡素美を侘茶の美の理想と見なす見解が多くの人に支持されてきました。 侘茶におけるこの“黒”という色の文化史的な背景について、ここで少し触れておくことにします。 侘数寄の意味を「手許不如意・道具不如意の茶の湯」であると論じられた矢部良明氏(人間国宝美術館館長)の所論を、ここでも拠り所とさせていただきます。 日本に喫茶の習慣が流布していくのは鎌倉期から室町期にかけてですが、 この時期の中国の王朝は宋の時代から元、そして明へと移り変わっていき、 中国から入ってくる陶磁器といえば、青磁、白磁、天目、染付磁器が主だったものです。 このうち、天目系のやきものが黒っぽいといえば黒っぽい釉色で覆われています。 しかしこれらは国家間の貿易によって輸入されてくるもので、 皇室や上流貴族だけが手にすることのできる高級な“お宝”ですから、 庶民に近い経済状況にある侘数寄は所有することができません。 国内では六古窯に代表されるような無釉焼締の陶器がほとんどで、 釉薬物といえば瀬戸焼(現 愛知県)に鉄釉を掛けたものがありますが、希少なものであったと思います。 そんなわけで侘茶の世界において、黒い釉薬の…

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